大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所室蘭支部 昭和34年(わ)61号 判決

被告人 北条功

大四・一〇・一生 会社員

主文

被告人を無罪とする。

理由

本件公訴事実は

被告人は、日鉄鉱山株式会社北海道鉱業所仲洞爺鉱山に勤務し、採鉱関係坑外保安係員として坑外採鉱作業における災害の防止等に関する業務に従事中、昭和三三年一月一七日より三日間に亘り有珠郡壮瞥村字仲洞爺所在の右仲洞爺鉱山事業場B地区右側剥土現場において塊鉱石約二〇屯を土建請負業加藤組の手によりトラツクに積載して搬出する作業を直接監督したのであるが同現場は約一〇米の高さで傾斜面が約六〇度の角度となつている下方に位置し、鉱脈は三米の高さから約五米の厚さで斜めに走りこの鉱脈上方は火山灰質の凝灰岩が約三米、その上方は砂礫を含む粘土層を成し最上面は積雪に覆われており当時異常暖気で融雪の傾向にあり、特に同月一九日に至り午前一〇時頃よりは気温の上昇が著しく、太陽の直射面は雪が融け出している状況にあつたから、このような現場で鉱石積込作業を行わせるに当つては、前記鉱脈上部の土砂等の崩落により人に危害を及ぼす虞れがあるからその危険を未然に防止するがため危険の有無その箇所を点検し時宜に応じ作業を停止させる等必要なる予防避難の措置を講ずべき業務上当然の注意義務があるに拘らず、事茲に出でずその危険はないものと軽信し切羽から五・六米以内に立入らぬよう注意を与えて作業を継続させた結果、同一九日午後一時頃前記鉱脈上部の土砂が融雪水の浸透等により泥流となつて崩落し因て積込作業中の加藤組々夫中市信秀、三浦義明を夫々泥土中に埋没させて窒息、鈴木隆雄を脳底骨折、頸椎骨折等により即死せしめた外佐藤彰洋に対しては全治一週間を要する左下腿挫傷を負わせたものである。

というに在るが、当裁判所の判断は以下述べるとおりである。

被告人が日鉄鉱山株式会社北海道鉱業所仲洞爺鉱山に勤務し、採鉱関係坑外保安係員として、坑外採鉱作業における災害の防止等に関する業務に従事していること、昭和三三年一月一七日より三日間に亘り、有珠郡壮瞥村字仲洞爺所在の右仲洞爺鉱山事業場B地区右側剥土現場において、褐鉄鉱石約二〇屯を土建請負業加藤組の手により集鉱、これをトラツクに積載して搬出する作業をしていたこと、右集鉱の現場は、高さ約一〇米、傾斜六〇度の切羽の下方に近い所であつたこと、同一九日午後一時頃切羽の上部の土砂が泥状で崩落し、因つて積込作業中の加藤組々夫中市信秀外一名を、それぞれ泥土中に埋没させて窒息、鈴木隆雄を脳底骨折等により即死させたほか、佐藤彰洋に対して全治一週間を要する傷害を負わせたことは、各関係証拠によりこれを認めることができる。被告人も亦これを認めるところである。

ところで本件公訴事実によれば、前記切羽上部の土砂崩落の原因は、表土の上面は積雪に覆われており、当時異常暖気で融雪の傾向にあり、特に同月一九日に至り、午前一〇時頃より気温の上昇甚だしく、太陽の直射面は、雪が融け出して該融雪水が地下に浸透し、これがため地層を軟弱化したことによると為すのである。

鑑定人土居繁雄作成の鑑定書、同人その他の者の検察官に対する供述調書等によれば、これに照応する記載もあるが、それらは、多くは架空に非ずんば不当に誇張されたものである。

すなわち、仲洞爺鉱山より約二粁離れ、本件崩落現場と気象条件が、略同一と思われる北海道電力株式会社洞爺発電所の、所員の記録した昭和三三年一月分気象観測日表及び外気温度表によれば一月中における毎日の最高温度の平均温度は一・三度、毎日偶数時(従つて一二回)における温度の平均、すなわち標準温度の月間の平均温度は、零下二・五度であつて、同月中に最高温度で零度以上に昇つた日は、

二、

七、

八、

九、

一〇、

一五、

一六、

一九、

(六)

(二)

(〇・五)

(三)

(一)

(一)

(二・五)

(二)

二〇、

二一、

二二、

二三、

二五、

二六

(一)

(二・五)

(六)

(五)

(一)

(二・五)

の一四日(括弧内は温度)であつて、標準温度で零度以上に昇つた日は、

七、

一六、

二二、

二六

(一)

(一・五)

(三)

(二・五)

の四日である。これによつて見れば、仲洞爺地方では、標準温度が零度以上になることは珍らしいが、最高温度が零度以上になることは珍らしいことではない。そして更に同月一〇日以降本件(崩落事故のあつた日は後単に災害日と略称する)までに、時間的に零度を越えたのは、一〇日二時、一五日二四時、一六日二時乃至一〇時に過ぎず、その他は標準温度は勿論、最高温度も零度を越えていない。特に一七日の標準温度は零下五度で一八日の標準温度は同じく一・五度である。ただ右にも述べたように一六日だけは、〇時より六時までは一度、八時に二・五度に上昇したが、一〇時には一・五度に下降、一二時には零下〇・五度に降つている。しかも一五、一六の両日は曇天、一七、一八の両日は雪で北西風が吹いていた。

本件災害日における最高温度は二度であつて、標準温度は零下二度である。併し、一〇時においては零下二度、一四時には既に零下一度になつている。月間の最高温度の平均温度一・三度に比べると〇・七度高く、同じく標準温度二度に比べると〇・五度高いに過ぎない。従つて本件災害日当時異常暖気であつたとのことは科学的に見れば全く根拠のないことで、前記鑑定書または供述調書のこの部分に関する記載の信用しがたいことが判るのである。もし強いて一月中における異常暖気を求めるならば皮肉にも、本件災害後の二二日であつて、同日の最高温度は六度、標準温度は三度である。

さらに進んで、本件災害日の司法警察員の実況見分調書によれば現場附近の表土の積雪は約五〇糎であり、同月三〇日の検察官の実況見分調書によるも積雪一〇乃至二〇糎の積雪に覆われていたとの記載(同調書に一〇乃至二〇糎とあるも添付の写真の現場と人物を比較すると実際は、五〇糎程度積つていたようである)から考えると、本件現場附近は、一月中は、常時五〇糎程度の雪に覆われていたものと思われる。これらの雪は、北海道では根雪と称せられ、厳寒中は凍結して雪盤又は氷盤化し、地層の表土もまた、地下三〇糎乃至五〇糎まで凍結している。(証人筋野等の証言)これがため、かりに、たまたま昼間時気温の上昇により表面の雪が融けることがあつても、該融雪水は、雪盤の表面を湿潤又は流れる程度であつて、これが直ちに雪盤及び凍結した表土を通り抜けて地下に浸透することはない。こうしたことは北海道では周知の事実に属する。

本件災害日における最高温度は二度であるが、一〇時においては零下二度で、一四時には既に零下一度となつている。一〇時以前及び一四時後が零下であること言うを俟たない。当日晴天で無風であることを考慮に容れるも、このような温度で表面の雪が果して融けるかは疑問であるのみならず、仮りに融けることがあつても右のような短時間に融雪水が、雪盤、凍結表土を通り抜けて崩落させるに至るほど地下に浸透することは到底考えられないことである。もしありとすれば極めて異例のことに属し過失犯成立の一要件としての予見可能性の対象となり得ない。

要するに、本件切羽の土砂崩落の原因が、公訴事実に示すような事由に基くものであることは到底これを認めることができない。従つてこのような事実を前提とする注意義務懈怠の事実があつたとしても過失犯を構成しない。

本件切羽の土砂崩落の原因は、結果的に見れば地下水の異常増加により本来粘着性に乏しい火山灰及び礫層が水分を飽和状態に含んだ結果、表土に亀裂を生じ崩落したものである。どのようにして崩落部分に付てのみ、このような現象を起したかは、現在においてもその原因は不明である。

先づ本件崩落現場の地質について考えるに、崩落部分の地質は、下から上に褐鉄鉱床、褐鉄鉱の鉱染した礫層、同じく砂層、崖錐堆積物(礫層)火山灰層の順になつている。褐鉄鉱床は、塊状の緻密な鉱床で、南北に走り、西に三〇度前後傾斜し、厚さは約四米位、鉱染した礫層は、塊状のように固結したもので鉱床の上にあるが、崩落面の北側では非常に厚く五米以上のところもあるが、崩落面では非常に薄く、南端では全くなくなつている。鉱染した砂層は、崩落面の左側では鉱染した礫層の上に乗つているが南側では直接鉱床の上にあり、厚さは三〇糎位であり砂層の上には厚さ五糎位の火山灰質粘土層がある。砂層は水分を多く含んでいるほか軟弱である。崖錐堆積物は、主に人頭大より小さい不規則な形をした安山岩や硝石岩の礫の間を粘着性に乏しい砂で埋めた砂層であつて、鉱染した砂層の上にある。火山灰層は、粒の荒い火山灰であつて、地表面に近いところは、表土化作用を受けて黒色又は暗灰色となつているが、非常に崩れ易い。表土の厚さは三〇糎乃至一米である。(土居鑑定人の鑑定書記載)右崩落面を含む切羽は高さ約一〇米傾斜度は六〇度で只崩落面の直下の鉱床の下部は、前にシヨベルで誤つて削り取つたので八〇度前後になつていたようである。そして崩落面の左側は一帯に岩石層で五〇〇米位続き高さは七、八米位であり、右側は約一〇〇米に亘り崖錐堆積物及び火山灰質だけの層である。(司法警察員実況見分調書)崩落現場の地質は右のとおりであるから、同じ条件で水分が地層に浸透するとすれば、崩落の危険性は、むしろ粘着性に著しく欠ける礫層と火山灰質より成る右側の切羽(地上に鉱床の露出していない部分)に在ると言わねばならない。ところが本件災害後の二二日の異状暖気――但し検察官の異状暖気の概念に従つて――にも、また春期の融雪期にも、右地層に何らの異状なく過したことを考えると、本件崩落現場は、磯部鑑定人のいうように、専門家でも判定困難な異状地質であつたと言わねばならない。

土居鑑定人の鑑定書によれば、本件切羽の土砂崩落の原因として「前述のような地質条件のところへ、当時気温上昇のため融雪水の急激な増加により土圧の増加とともに、褐鉄鉱層の上盤の粘土質の砂層が塑性限界に達して辷り面となり、砂層の上にのつている崖錐堆積物が崩落した」とあるが、鉱床が西に向つて三〇度の傾斜であることは本件災害後ボーリング探査の結果判つたことであり、異常暖気については、既に述べた。褐鉄鉱床の上盤の粘土質の砂層が辷り面となつた事実は、磯部鑑定人の鑑定書の記載と対照し、かつ、司法警察員、検察官作成の各実況見分調書添付の写真を見ると到底これを認めることができない。却つて磯部鑑定書にもあるように、表土に先づ亀裂を生じ次いで引張り辷り、圧縮辷りを起して崩落したものと認めるのが相当であり、合理的である。同時に切羽の最下部に、しかも四米の高さを持つ鉱床の下部をシヨベルにより誤つて削り取られ鉱床の下部の傾斜角度が他の部分より急になつたことは本件崩落には何らの関係のないことである。

以上の次第で本件切羽の上部の土砂崩落は異状地質に基くものでその原因は不明である。従つて過失犯成立の一要件としての注意義務を確定することができないので、この点において公訴事実は犯罪の証明が充分でない。よつて刑事訴訟法第三三六条に則り主文記載のとおり判決する。

(裁判官 畔柳桑太郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例